HSPやエンパスが自己肯定感を下げるとき ~自己卑下は自己逃げ~
HSPの方から、
職場や友人関係、家庭の悩みを伺うと、
実際には嫌なことをされてないのに萎縮してしまう
とおっしゃることがあります。
自分を低く、相手を高く置けば、問題がおきない気がする。
そんな「自己卑下」と、HSPの関連性に触れてみました。
HSPやエンパスによくある自己卑下
自分さえがまんすれば丸くおさまる、
と考えグセのあるHSPやエンパスの方は少なくありません。
ちょっとしたことで心が萎縮し、
それ以上の刺激を受けないようガチガチになり、
状況をよく把握しないまま、
「うんうん、あー、はい、ええ」
ととりあえず他人の言う通りに従い、自分で考える余裕を持たなくなります。
萎縮が重なると、無意識な自己卑下になります。
この状態、改善するのでしょうか?
HSPの自己卑下のからくり
私も自己卑下をよくしていました。
きっかけは、ものごころついた頃から、
よくみていたひどい悪夢。
起きても頭から離れなくなりました。
そんな自分がとにかく怖くて、大人に助けてもらいたかったです。
しかし、
「あら~怖い夢見たの?
泣き顔がかわいいわね~」
ととりあってもらえず、
恐怖を消化できなくなりました。
泣けば泣くほど放置されてたように思います
(実際はいろいろしてくれていたはず)。
HSPが自己肯定感を下げるとき
状況が変わらないなら、悪夢に慣れよう。
と考えて、見たことを周りに話したり、
結局一人でおびえたりした時期がありました。
ほかのことでも過敏に反応し体調を崩すので、
大学病院に連れていかれた時期もありました。
親としては手のかかる子で、
心配でしかたなかったとおもいます。
ただ、当時の私の気持ちとしては、
心配されればされるほど、
自分は何もできないダメな存在、
と感じてしまうのでした。
周りからの心配やアドバイスは増え、
たくさんの情報が入ってきてさらに困惑・・・。
ところが、
「困惑している」と説明できるわけもなく、
とうとう、
「言う通りにしておけば周りも黙って静かになる」と決めました。
考えずに従うほうがラクに思えたわけです。
「これが正しい、あれはダメ」
時々反抗してみるのですが、
結局、周りの言うことや世間体を気にしておくほうが無難。
これが私の自己卑下のはじまりでした。
HSPの自己肯定感の低さ=「ネガティブなオチで納得」。
こうおもってはいけない、こう考えるのが正しい、
という考えに生真面目に従うと、
だんだんと、考えと気持ちがずれて、
感情の行き場が落ち着かなくなります。
自分の感情や感覚をどう落ち着けたらよいかわからなくなると、
自分が自分であってよい、
という状態から離れますから、自信がなくなっていくのです。
しかし、感情は、どこかにオチがほしい。
そこで、一番わかりやすい着地点として、自分のせいにします。
自分のことはよくわからないくせに、
自分は生きていて体があるから、存在は感じられる。
そこに落ち着かない感情を結びつけると、
オチがついて、安心してしまう。
これがHSPが自己肯定感を下げるからくりです。
HSPのクセを手放そう:自分のせい(オチ)にしなくていい
個人的な解釈ですが、
HSPがオチをつけたがるのは、
HSPの4つの特徴「DOES」のうち、
D=深く処理する
のあらわれだととらえています。
DOESについてはこちらから・・・
感情の行き場がないのは、
その感情を感じたくなくて逃げているときです。
本当は、感じたくない!と思っていることもひっくるめて、
すなおに認められればいいのですが、
自己卑下しているときは認めたくない。
だけど、オチがほしい。
ダメ!とフタをしたまま、つまり、
悪いコトなんだ!と自分に押し込めると、
オチはつくけど、苦しくなるんです。
気持ちはためこまないでね。
こんなときは、あまり考えずに、
心に浮かんだこと、意味ないことを、
口に出したり、日記に書いたり、絵や音で表現してみるんです。
ひとりの世界でただ表現するだけ。
心に浮かんだことに、いいも悪いもありません。
自己卑下は、自分が悪いことに「しておく」状態ですが、
心に浮かんだことは良くも悪くもなく、
「ただ感じたのだ」とわかると、自己卑下は減っていきます。
追伸: 私は今も悪夢をみますが、ただ感じただけだとわかっているので、起きたらケロリとするようになりました。